あいたまベルギー日記

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2006年 01月 27日

München  ~Dachau(ダッハウ)編~

 そして、2週間の研修中ながら唯一の週末の土曜日にダッハウ強制収容跡に一人で行ってきました。まず、ダッハウの説明から致します。アドルフヒットラーがドイツ国首相に就任した数週間後の1933年3月22日に、政治犯用の強制収容所として建てられました。同収容所はその後建てられた収容所のモデルとなり、ナチス親衛隊員のための残虐行為の養成・訓練所となりました。開放される1945年4月29日までの12年間のうちに20万人以上が拘束され、うち4万3千人がここで亡くなりました。
 行ってびっくりしたのは、できる限り当時のそのままで置いていることです。ドイツは、戦争の負の歴史から目をそらさぬよう世界に伝えるよう負の遺産をそのまま残しているようで、ダッハウだけではなくいたるところにこのような場所があります。

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これが、外界と収容所を行き来できる唯一の出入り口。"Arbeit Macht Frei"、日本語で"働けば自由になる"書いてあります。





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このスペースが、朝礼などを行っていた場所です。囚人は直立不動にしていなければならず、点呼をとって人数が合わなければ拷問をうけたとのことです。


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頑丈な柵で外界から遮断されており、有刺鉄線が巻かれてました。逃げようとした場合、監視員に撃たれたようです。

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先の広場と敷地の後部をつなぐポプラ並木どおりです。囚人は短い自由時間にここに集まっていたようです。端から端までそうとう広かったです。このポプラの木の両サイドにバラックという一棟200人収容予定の囚人住居が17棟(両サイドで34棟)あります。プレハブのような建物です。ちなみに、開放直前は2,000人を収容していたようです。


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そして、これがその囚人の就寝場所です。ちなみに、これは復元したものです。







なお、獄門のあった建物や、火葬場もそのまま残っていました。

 感想を述べるとすると、「今後こんなことをしてはいけない」というレベルではなく「どうやったらこういう心境になるのか」と疑問でした。そして、この日はー5度以下だったと思います。あまりに寒い中一人でここに来たものですから、本当に寒くて初めて寒いということに恐怖を感じました。ですが、囚人たちは上記の環境で、この寒さですからよっぽどだったと思います。いろいろな感想があると思いますが、我々が彼らに比べて運よく満たされていることは間違いないです。 

ご冥福をお祈り申し上げます。

Tama

by tamarich | 2006-01-27 06:10 | ドイツ情報


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